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地域で暮らす

 私がこの町に暮らし始めてもう40年近くになります。近所を歩いていると(私が長男なので)昔から知ってる人は「あ、お兄ちゃん」と声をかけてくれます。(もう「お兄ちゃん」ていう歳じゃないんですけどね。笑)行きつけの床屋さんに行けば「いつもの感じでいい?」と聞いてもらえるし、買い物に行けば「何か取る物ある?」と手伝ってくれます。
 そんな何気ない日常なんですけど、なんかねぇ、、最近それがすごくうれしく感じるんですよね。もちろんおっさんになったというのもあるのですが、なんていうんだろう、同じ地域で暮らしてる人のやさしさっていうんですかね。。そういうのをすごく感じるようになったんです。

 私がここに引っ越してきた頃。もちろん子どもだったのですが、当然周りにも障害者なんて居ませんでしたから、近所の人もビックリとまではいかなくても少し構えてしまったかもしれません。それでも、すぐに慣れてくれて私が学校から帰ってくると裏の家のおばちゃんがお茶しに来たり、母親の職場のおばちゃん達が遊びに来たりして、「あ、お兄ちゃんお帰りなさい!」なんて普通に話してもらえるようになりました。小学校ぐらいまではそのまま一緒にお茶してたんですけどね。中高生になると、おばちゃん達の“圧”に負けて挨拶もそこそこに自分の部屋に行ってしまった記憶があります。(笑)
 ただ、私が高3で電動車いすに乗るまでは親と一緒に外に出ることが多かったので、近所の人と会うとどうしても親の方に挨拶するんでよね。ま、寂しいとか悔しいとかっていうのは無かったと思うんですけど、「どうせ俺には挨拶してくれないんだから、無愛想でもいいだろ」とヘンに斜に構えていましたね。(笑)それが電動車いすに乗り始めて一人で外に出るようになると、当然私に向かって挨拶してくれるんですよね。でも、言っても高3なんて一番生意気な時期でしょ。。アゴで(ウィーッス的な)挨拶したりしてね。今思うと、なんて失礼なことしちゃってたんだろうなと思います。買い物なんかに行っても「こっちは客なんだから」と当たり前のように手伝ってもらっていましたね。。なんなら「一人で買い物できる俺、すげーだろ!」ぐらい思っていたかもしれませんね。(アホですね!)

 それから時が経ち、家を出て一人で生活するようになると、それまでのご近所さんの知り合いの多いところから誰も知らないところで一から人間関係を作らないといけなくなりました。当然、[滝沢さんちのお兄ちゃん]ではなく、個人として[滝沢さん]になるわけです。そうなると、もちろんいい加減なことはできませんよね。(笑)幸いなことに初めて一人で住んだ家の近所の人たちがみなさん本当に良い方ばかりで、すぐに受け入れてもらえました。そこで初めて『地域(コミュニティ)の中で暮らす』という実感が湧きましたね。顔を合わせれば挨拶するし、近所のスーパーには毎週行くようになって、パートのおばちゃんに顔を覚えてもらって、いろいろと助けてもらったり(今は潰れちゃったんですけどね。)、病院で薬が出ると近所の薬局にもらいに行ったり、公共料金を近くのコンビニに支払いに行ったり、一時はホームセンターにハマって毎週のように行っていたんですけど、そこでもパートのおばちゃんに助けてもらったりして、何と言うのか、町で普通に暮らす楽しさやうれしさをその時に教えてもらったような気がします。
 結果的に、そこには5年間住んで、現在はまた実家の近くに家を買って住んでいます。また「お兄ちゃん」に戻っちゃったんですけど、ちょっとホッとしますよね。(笑)

 以前も書いたように、定期的に薬をもらいに行っている病院や歯医者は健常の人も通う普通の所だし、リハビリも町のクリニックです。ありがたいことに、どこの人たちもみなさん何かと気にかけてくれたり、助けてもらっています。リハビリのチームの人たちとは軽口もたたくようにもなりました。(つくづく言語障害が恨めしい!)仕事でしているだけと言ってしまえば、それまでかもしれませんが、なんかうれしいですよね。
 もちろん、専門の病院や施設の方が設備も整っていて快適かもしれません。ただ、、楽しくないんですよ!(なんじゃそれ!笑)なまじ障害者のことを知っている分、対応がパターン化しているというか・・・ それまでに居た似たような障害者の対応を私にもするんでよね。。例えば一番「ムムムッ」と思うのは、“ゆっくり・はっきり話をされること”です。おそらく、それまでの経験だったり、研修などでもそう教えられたんでしょう。ましてや私のように言語障害があったり見た目がちょっとアヤしいとなると(笑)、[プロ]としてはやはりそのような話し方になってしまうのかもしれませんね。
  「でも、私、普通に話聞けますからぁっ! 残念!!」って感じです。(古っ、笑)
 そういう意味では、私の経験上、いわゆる“障害者専門”の所より何も先入観のない一般的な所の方がかえって普通に対応してくれるような気がします。そういうこともあって、あえて障害者専門以外の病院に行っているのかもしれませんね。

 それと、もう30年以上通っている床屋さんがあるのですが、そこは電動車いすでは入れないので、以前は母親と手動車いすで行っていました。今はヘルパーさんと行っているのですが、もうさすがに手慣れたもんでね。。私が行くとスッと用意してくれて「いつもの感じね。」と言って切ってくれます。夏になると「いつもの感じでいい?」のあとに「いや、もっと(切って)」と注文を入れてしまうのですが。(笑)でも、髪を切っている時におやじさんがよく野球の話をするのですが、私、野球見ないんですよね。。(笑)母親が西武ファンで、よくおやじさんと野球の話をしていたので、私も好きだと思っているんでしょうね。。いつも野球の話を振られると「あ、、うん。。」と茶を濁します。(笑)
 最近では帰り際に必ず「お母さん元気?よろしくね。」と言ってくれます。

 たしかに、いざそうやって見知らぬコミュニティに入っていくのは多少勇気が要るかもしれません。特に、障害者なんてまったく関係ないような場所に、場違いな障害者がズカズカ入っていったりすると、もしかしたらまったく受け入れてもらえないかもしれません。それに、障害者のことをまったく知らない人から見れば、脳性マヒなんてまったくイメージにないでしょうからね、そんな奴が突然現れたら、そりゃぁ誰だってビックリするし、ビジュアル的にも絶対ちょっと引くでしょ!(笑)でもね、他の人が普通に利用するものを我々も普通に利用して、ちょっとずつでもいいからその場に居続けると(好き嫌いはともかく 汗)理解はしてくれるはずです。理解とまではいかなくても、「あ、こんな障害者もいるんだな」と思ってもらうだけでも意義はあると思います。
 そのコミュニティに居ることが大事なんだと思います。例えば、リハビリでいつも会うおばちゃん(おばちゃんて失礼だよね。おばさま方・・・?やっぱおばちゃんのほうがが親しみやすいね!)も、初めは挨拶もしなかったのですが、そのうちお互いに「あ、この人毎週会う人だ」ってなって、でも話すきっかけもなく居ると、ある日たまたまエレベーターで一緒になった時に「お兄さん、毎週来てるよね!頑張ってるよねぇ。」なんて声をかけてくれて、それからは話をしてくれるようになりました。
 要は、“慣れ”なんでしょうね。初めは何だか得体の知れない車いすのおっさんでも、そこのコミュニティに居続けることで“見慣れた顔”になっていくんですよ。まぁ、時間はかかると思いますけどね。。ちょっとでも理解してもらうことで、例えば違う場所で私と似たような障害者に出会っても、「あ、人は違うけど見慣れた障害者ね。」と思ってもらえると嬉しいんですけどね! だから、多少煙たがられてもそこに居続けることが大事だと思うのです。(もちろん、そこのルールやマナーは守ってね!)
 それは近所付き合いでも同じで、初めのうちは私が何者かわからないので、相手も恐る恐る(探り探り?笑)のコミュニケーションにどうしてもなってしまうかもしれません。ただ、基本的なマナーさえ守れば結構普通に付き合ってもらえますよ。(笑)
 とは言え、やはり近所付き合いと他のコミュニティとでは少し種類が違うかもしれません。例えばあるコミュニティの中で、どうしてもそこに馴染めない場合は、やむを得ず抜けることもできますが、近所付き合いの場合はイヤだからといって、簡単に引っ越しはできませんからね。。その分、多少余計に気を使う必要はあるかと思います。

 我々も地域の様々な人たちに混じって普通に暮らすことができるようになりましたが、その一方で、障害者ならではの特殊性もあると思います。普段は一人で電動車いすで出かけることが多いのですが、たまにでっかいバンの送迎車で出かけることもあるので、家の前にそんな車が停まっているとビックリするかもしれませんし、平日は毎日ヘルパーさんが来るので、それを知らない人は「あの家、何で毎日入れ替わりに人が来てるの?」と思われているかもしれません。(さすがに今はヘルパーという仕事もだいぶ認知されてきたので、「あ、ヘルパーさんなんだろうな」と思ってもらえると思いますけどね。)
 また、私は週一回、社協の入浴サービスを利用しているのですが、お隣さんに「お出かけかい?」と聞かれて「風呂に」と言うと、初め不思議な顔をされました。(笑)
 他にも細ごま違うところはあるのですが、『知ってもらう』という意味でもできる限り隠さずオープンにして、実際の生活の様子を見てもらうことが大切ではないかと思います。あまりひけらかす必要はないと思いますが、ヘンに隠すと余計な勘ぐりをされてしまうこともありますからね。(笑)

 以前は障害者というのは、ある程度の歳までは親の元で暮らして、その後は施設というのが既定路線でした。それは物理的な要因もあるのですが、障害者が自分で地域の中で暮らそうなんていう発想が社会にも障害者自身にも無かったのではないでしょうか。
 しかし今は、ヘルパーさんなり様々な福祉サービスなりを利用して、自宅でも生活できる環境が整いつつあります。そりゃ、施設に入れば生活は楽だし不安もなくなるでしょう、でもね、、じゃぁどっちが楽しいか。。多少の苦労や不便はあっても地域の中で、その一員として暮らすことが大事ではないかと思います。

 私は、ちょっとムリをしてもいいから今の生活を続けていきたいですね。

関連項目
電動車いす (トライ編)
電動車いす (エンジョイ編)
地元の祭り
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