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デカけりゃいいのか!?

 とかく、UDというとデカく・見やすくというのが一様にうたわれています。やっぱり、私ってひねくれているんでしょうね、、これにもちょっと噛みついてみたくなってしまいました。(”噛みつく”ってなんかカッコいいなぁ。) たしかに私のように手に震えなどがあったり、目が見づらい人にとってはありがたいかもしれません。ですが、本当にそれだけでいいのでしょうか。
 見やすくというのはさておき、デカくという発想は私にはどうも安易に思えて仕方ありません。例えば今の携帯電話などは、ボタンも小さくてちょっとぶきっちょな人は押し間違えることも多々あるでしょう、”それならボタンをデカく”というのは発想としては自然です。ただ、それは物の見方の一方向にしかすぎないと思うのです。手はスムーズに動かせても稼働範囲が狭い人にとってはコンパクトな配置の方が負担が少ないでしょうし、無論、手に障害がない人にとっても入力の効率はいいはずです。そうなると今度は両者のニーズをどう満たしていくか、どうひとつの商品として具現化していくかが問題になってきます。しかし一見、対照的に見えても実は目的としては同じなのではないでしょうか。要は両者とも使い易さのことを言っていますし、必ず接点はあるはずです。例えば携帯電話で言えば、決定とクリアと方向ボタンは大きなものにして、大部分の操作はそれで間に合わせるというという方法も考えられますし、もっと言ってしまえばボタン以外の入力方法(例えば音声など)もあっていいはずです。
 [UD=デカい]というのは、入り口としては確かにわかりやすいです。しかしそれは、あくまでも考え方の入り口であってUDの本質ではないように思います。[デカく・見やすく]といのは、UDを実現する上での一要素でしかないと私は思うのです。
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