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快適さと窮屈さ

 日頃、生活していて私たちは自然な欲求として快適さを求めます。いつも誰かがどこかで何らかの“快適さ”を追求し、それが新たな“快適さ”を生み出してきました。私もその恩恵は十分に受けて今の生活が成り立っています。
 でもねぇ、、ここ5年ぐらいかな、、その“快適さ”がえらく窮屈に感じるときが多々あります。

 なんて言うんでしょう、、[過剰な快適さ]とでも言いますかね。しかもそれを求めるためには、それ以上に厳しいルールがある。みたいな・・・。それのどこが快適なんだって話ですよね。
 例えば、少し前に話題になった異物混入事故。あんなもん、昔はニュースにもなりませんでした。昔はこんなことがあっても、当事者が会社に文句を言って、会社は“申し訳ありません!”て言って詰め合わせセットみたいなのを送ってきて、それで済んだ話だったんですよ。それが今では鬼の首でも取ったかのようにネットにアップされて、散々袋叩きに会って結局は販売中止でしょ。ちょっと恐ろしさを感じてしまいます。これって、どういう心理なんでしょうね。
「見て見て!こんなことあったよ!」
「見て見て!こんなことあって、私ってかわいそうでしょ!」
「企業さん、こんなことがありました。しっかりしてください。」
「よっしゃ、袋叩きチャーンス!」
ってな感じでしょうか。 ・・・言ってしまえば、どれも暇潰しですよね。。(笑)
 私は、暇潰しでもしないなぁ。。どう考えても双方にメリットがないと思うんですよね。言われた企業はもちろんですが、言ったほうも結局は意見の合わない人たちから袋叩きに会ってしまいます。ものすごく不毛なやり取りだなと思ってしまいますね。3番目だって、一見相手のことを思っているように見えますが、上述のように直接企業に言えばいい話であって、これ見よがしに言いふらす必要はないのです。
 いや、わからなくもないですよ。これだけネットも発達して、誰でも簡単に自分の意見を言えるようになると、ヘンな問題意識・ヘンな正義感みたいなのが出てきてしまうのでしょう、ちょっとでもイレギュラーなことが起こると“これはみんなに伝えなきゃ!”とか“不正や怠慢を正さなきゃ!”といった気持ちになるのかもしれません。もちろん、ほとんどの場合そこには悪意はないとは思います。ただ、悪意が有ろうが無かろうがその情報は一気に広まりますし、受け取ったほうの取り方はそれぞれ違います。笑って流す人もいれば、大げさに捉えてしまう人もいます。中には人の情報を利用して騒ぎ立てる人もいます。
 なんだか、どんどん失敗ができない(許されない)社会になってきてしまいましたね。本来、失敗と不正や怠慢は別次元のはずなのに、ネットではいっしょくたになって取り上げられてしまっています。不正や怠慢を正すことはもちろん大事なことだとは思いますが、異物混入なんて、失敗の範疇だと私は思うのですが・・・。こうやってどんどんどんどん他人のアラを探して追及していくと、正しくて理屈の通ったことしか許されない、窮屈な社会になっていってしまいそうで、ちょっと憂鬱になってきます。現にもう、そうなりつつありますけどね。だってさぁ、、たかだか(敢えて、“たかだか”と言わせてもらいます。)虫が入ってただけで生産中止になっちゃうんだよ!ちょっと過剰すぎますよね。いやぁ、、企業のほうはたまったもんじゃないだろうな。。こうして、ますます安パイなほう、簡単なほう、ちまちましたほうの社会になっていくんでしょうね。もっと、訳がわからなくて、おおざっぱで、多様性がある社会のほうが面白いのに・・・。
 これはある意味、日本人の特性なのかもしれません。真面目できっちりしてて横並び好きで、常に対面を気にして・・・慎重で!(笑) だから、おおざっぱで、多様性がある社会なんて想像もつかないし不安で仕方ないんでしょうね。ちょっとでもはみ出していれば叩いて、ちょっとでも曲がったことをすれば叩いて、全員が同じ方向を向かないといけない。 ・・・いやぁ、やばいです! これじゃ、昔の村八分と一緒でしょ!
 ただ、逆にそんな日本人の特性だからこそ、質の良い製品、快適なサービスが生まれてきたのも事実です。日本人ならではのきめの細やかさは世界でも注目されています。しかし、それが束になって押し寄せてくると、恐怖を感じてしまいます。(笑)

 最近のニュースや情報番組でよく、“ネットで賛否両論”という言葉を耳にします。これも私はちょっと疑問を持っていまして、「なにネットで安易にネタ拾ってきてんだよ」、「ネットの影響は受けたくないって言いながら、十分ネット意識してんじゃねぇかよ」などと、つい思ってしまいます。
 明らかにテレビがネットにおもねっていますよね。。ネットが普及し始めた一時期、“テレビとネットの連動”などといって、しきりにテレビがネットを利用しようとしていました。「詳しくは番組ホームページへ」とか言って。。それが今では、テレビがネットの言いなりです。(笑)私は、テレビとネットは似ているようでまったく異質なものだと思っています。もちろん、[ネットは双方向のやり取りに対して、テレビはおよそ一方的]というのもあるのですが、なんていうんだろう、我々の世代ってある種、テレビに対して憧れというか、今ほど身近には感じていなかったように思うんですよね。子どもの頃は居間に一台しかテレビがなくて、たいてい父親がチャンネル権を持っていました。自分たちはせいぜい父親が仕事から帰ってくるまでの間、7時からのアニメを見るか、土曜日の全員集合(うちはOKでした!)ぐらいしか見せてもらえませんでしたからね。当然、ビデオなんていうのもありません。それでも、やっぱり楽しかったんですね。今みたいに“ながらテレビ”じゃなくて、ちゃんと正面に座ってじーっと見ていたものです。
 今はテレビも一人一台ですし、ビデオカメラもかなり普及して、小さい頃から自分がテレビの中にいるのが当たり前になっています。だから、それほど特別なものでもないのかもしれません。それが全国放送であろうが、ホームビデオであろうがテレビに映ってるという意味ではさほど変わらないし、憧れというのは無くなっているのかもしれません。だから邪険にものが言えるのかな。。

 そもそも根本的に違うのは、ネットはツールでテレビは娯楽なんだと思うのです。娯楽は一方的でいいんですよ。作り手が本当に面白いと思うものを作って、”さあ、これでどうだ!”って勝負すればいいと思うんですけどね。見る側が面白ければ続けて見ればいいし、つまらなければ見なきゃいいだけの話だと私は思います。
 まぁねぇ、、たしかに、特に民放は視聴率が悪いとスポンサーが付かないというのもあるでしょう。今はネット、特にSNSでちょっと批判されると一気に“不視聴運動”が広まってしまいます。だから、あたり障りない、万人受けする“自主規制”だらけの番組になってしまいます。自主規制ってなんなんでしょうね!? 食べ物をムダにしちゃいけない! 下ネタ言っちゃいけない! 危ないことしちゃいけない! 血も見せちゃいけない!・・・そんなもん、テレビが規制しなくても、やって良いか悪いかの判断ぐらい身近な人が教えればいいだけの話だと思うんですけどね。少なくても子供のころの私は、いくら志村けんがスイカをムダに早食いしようが、たけしとさんまがパイ投げしようが自分ではしようと思いませんでした。なぜなら、親に怒られるから。 あ、スイカはちょっとまねしたかな。。(笑)
 要は、誰かに対する“配慮”という名の保身でしょ? 視聴者の気分を損ねちゃいけない、スポンサーの顔色を見なきゃいけない、ネットニュースの評判も気にしなきゃいけない・・・。窮屈で作り手がやる気をなくすのも、ちょっとわかります。だから最近のバラエティのつまんないこと!(笑)
 純粋に笑わせるだけのバラエティは今は受けないんでしょうかね。。[クイズバラエティ]だの[情報バラエティ]だの[謎解きバラエティ]だの、何か役に立つことを付け加えているものが多く見られます。いや、私も見るから良いんですけど、そういう役立つものを一個付けなきゃいけないとバラエティも見てもらえないなんて、ここでも窮屈感を覚えるんですよね。。今の人ってここまで合理主義、というか余裕がないのかなと思ってしまいます。 あー、今の人たちに全員集合やひょうきん族を見せてあげたいなぁ。。(笑)

 言ってしまえば、ネットもテレビも暇潰しの道具かもしれません。だったら暇潰しで人を傷つけるなよ。と思うのです。本来、ネットもテレビも我々の生活を快適にしようとして開発されたに違いありません。ところが、見ているとどうも両者とも快適さより窮屈さのほうが気になって仕方ないんですよね。。何も、わざわざアラを探して攻撃することないじゃん! やられたほうも、いちいち反応するなよ! せっかく良い道具なんだから。。

 そういった風潮も手伝って、最近は何でも[良い]か[悪い]の二分化が極端になっていると思います。昔、私がプログラマの仕事を始めたころ、ある人に「コンピュータの世界って、0と1・イエスかノーで判断することが多いけど、実生活ではイエスかノーだけじゃないんだから、それで判断しちゃだめだよ。」と言われたことがあります。世の中がどんどんデジタル化されて、スイッチもオンかオフだし、正しく操作しないと一切動かないし、送られてくる情報も、興味が有るか無いかで取捨選択されてしまいます。まさに今、その人が言ったような状況になっているような気がするのです。イエスかノーで判断することは、たしかに簡単でわかりやすいです。ただ、それは便利ではあるけど快適ではないような気がしてなりません。なんで誰も「どっちだっていいじゃん!」って言えないんだろう。何でも白黒はっきりつけるのは正しくて潔いことなのに、どんどん窮屈になっていくなんて・・・。


どうした?えらく社会派だな。。(笑)

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