トップ(T) > さぁいっちょ ぶぁーっといきましょー!   前へ 次へ       ■コラム一覧■ 

ザ・二次障害

 さて・・・。

 ついにこの話をする時がやってまいりました!

  『ザ・二次障害』。 (ザってなんだよ!笑)

 そこの20代・30代の脳性マヒのあなた!「あ、自分には関係ないや」と思ったでしょう!? 関係あるかないかは10年、20年後にわかると思いますので、とりあえず読んでみてください。
 何故、今こんな文章を書こうと思ったか。。それは私自身が完全にそこに足を踏み入れてしまったからです。(笑)

 まず二次障害とは、障害のある人(ここでは脳性マヒの話をさせていただきます。)が加齢などによって、それまでできていたことができなくなったり、身体の変調によって筋肉が硬くなったり痛みやしびれが出てくるというものです。人によって、これらが出現する年齢は違います。
 私の場合でいえば、筋肉の緊張が強くなってコントロールが難しくなったり、首の骨の間隔が詰まって神経を圧迫することによって、腕から手指にかけてしびれがあります。あと、慢性的な筋肉痛・関節痛ですね。特に冬はやばいです。さらに、目のかすみ、、物忘れ、、人の名前が出てこない、、腹が出る、、生え際後退(今はほぼ無い)等々・・・。(それはオッサンの現象じゃねぇか!笑)

 実は私も20代・30代の頃は「二次障害?俺には関係ないや」と思っていました。体力もあったし、どこも痛くないし、そのままの生活が続くと思っていました。35で家を出たのですが、当時はめちゃめちゃムリがきいたので夜まで友達と遊んだり、ホームセンターとショッピングモールのはしごなんてザラにありました。(なんだそれ!笑)夜中まで酒飲んでも、次の日全然大丈夫だったしね。そりゃぁもう一人暮らしを謳歌したものでした。
 ところが38・9になってくると、だんだん疲れを感じるようなって気が付くとリ○ビタンDを飲むようになり、さらにはQ△コーワの錠剤を初めは10日に1回、、それが週に1回、、3日に1回、、2日に1回、、そしてとうとう毎日飲むようになっていきました。ここまではまぁ、「あー、俺もオッサンになって疲れやすくなったな」っていう程度の感覚でいました。
 それが40になると、例えば長時間電動車いすを運転したり、何か集中して作業をすると背中が少し痛くなり始め、塗り薬を塗り始めました。それも初めはアン○ルツから始まって、バン○リン、ボル○レンと次第にパワーアップ(?)していきました。この頃はまだ薬を塗れば2・3日、まぁ長くても4・5日で痛みは取れていたのですが、これがねぇ、、だんだんと取れなくなってくるんですよ! 痛みが!!(笑)激痛ではないのですが、鈍い痛みが薄っすら続く感じ。。この“薄っすら”っていうのが厄介なんです。。「薄っすらだったら、薬塗れば治るんじゃないか」と思って、とりあえず塗ってしまう“クセ”になっていくんですね。で、結果どんどん慢性的になっていくんですよ。今思えばねぇ、、薬に頼らないでちょっと放っておいたほうが良かったのかなとも考えますけどね。。
 ・・・と、ここまではまだ序章・・・。 (何もったいぶってんだよ!笑)

 なんとか騙し騙ししてやり過ごしていた痛みなんですが、42・3ぐらいかなぁ、、ある時から薬を塗っても痛みが取れなくなったんですね。この頃になると、ハンディのマッサージ器も使うようになっていましたが、それでも気休め程度にしかなりませんでしたね。。ついに辛抱たまらなくなって病院に行くことにしました。
 とりあえず痛み止めの注射を背中の数か所に打ってもらって、筋肉の緊張を取る薬を出してもらいました。当たり前の話なんですが、その注射がエラく効いて一発で痛みが取れたんですよね。。「あー、久しぶりに体が楽になったなぁ。」と思ったのですが、その時に一緒にもらった薬がね、、“運命の人”ならぬ“運命の薬”になろうとは・・・。(笑)
 その薬を出してもらうときに、先生が「この薬は一度飲み始めると、なかなかやめるのが難しくなると思います。」と言われました。正直、ビビりましたよね!(笑)飲み始めたらやめられない薬なんて、怖いでしょ!(笑)要は、一度飲んでしまうと、それをやめた時に余計に緊張が強くなってしまうので、やめるにやめられなくなるのです。いつもは何でも自分で決めてしまうのですが、さすがにビビって母親に相談しちゃいましたもんね。。
 ただ、それを飲めば痛みは和らぐんですよ。。もう体が痛いのには辟易としていたので、迷った挙句とりあえず飲んでみることにしました。ですが、そうは言ってもその時は「薬?しばらくしたら絶対にやめる!」と思っていたので、慣れてしまわないように初めのうちは3・4日に一回飲んでいました。やっぱりねぇ、、違うんですよ!薬を飲むと、筋肉のこわばりが取れるというかね。。筋が伸びるというかね。。すごく楽になるんです。ちょっとストレッチしただけで筋がほぐれていくのがわかるしね。
 確か春先から飲み始めて、その夏・秋ぐらいまでそのペースで飲んでいました。調子が良くて痛みもなくやっていたのですが、だんだん寒くなってくる秋の終わりぐらいになると、また首から背中が痛みだしたんですよ。おのずと薬のペースも速くなっていき、気付けば毎日飲むようになっていました。「あー、俺はこの薬をこれからずっと飲み続けるのかなぁ。。」と思う反面、まだやめるチャンスを伺っていました。だって、今までまったく薬を飲んでいなかった人間がいくら調子が良くなるとはいえ、これから一生飲まなきゃいけなくなるなんて思うと、そう簡単には受け入れられませんよね。この頃は病院に行くたびに先生に「なんとか薬をやめる方法はないか」と聞いていましたが、そのたびに「薬は飲んでおいたほうが体が楽ですよ。」とぐうの音も出ない切り返しに毎回撃沈していました。(笑)この時期はそんな葛藤がありましたね。。

 それからまた時が過ぎ、45の夏、秋ぐらいまでは本当に調子が良くて痛みもほぼ忘れていました。もちろん、薬はもう毎日、朝晩飲むようになっていたんですけどね。「結局、薬は飲むようになったけど、これである程度落ち着いたかなぁ。」と思っていました。
 ただ、そうは言っても薄っすらと背中に張りがあったので、どうせならこれも伸ばして取ってやろうと(調子に乗って)思ったんですね。これがいけなかったなぁ。。(笑)ちょっと強めにストレッチしようと思って首を大きく回していたら、ちょっと背中に違和感を覚えたんですね。なんだろなぁと思っていたら、みるみるうちに背中が痛くなっていったのです。「ヤバいっ」と思って急いで横になって、これも今思えばマズかったなと思うのですがマッサージ器を当てたんです。誰かいれば薬を塗ったり湿布を貼ったりしてもらえたのですが、その時は一人だったので、できることと言ったらそれぐらいだったんですね。本当にねぇ、、シャレにならないぐらい痛くなりまして!(笑)動くのもツラかったですね。
 次の日、近くに住む親に来てもらって薬を塗ってもらい、夕方ヘルパーさんに風呂に入れてもらいましたが、それでも痛みが取れずに電動車いすの運転もできないほどでした。たまらずに病院に行ってレントゲンを撮ったところ、首の骨のすき間が詰まってきて神経を圧迫しているために痛みが出ているのかもしれないと言われました。この時にしびれも少し出始めていたので、もう一種類新しい薬を飲むことになってしまいました。
 これも正直、一時的だと思ったんですよね。。痛みが落ち着けば、この薬は飲まなくてもいいだろうと。(甘いな!笑)ところが、その後もなかなか痛みは無くならず、主治医の先生に相談してみたところ「首を引っ張ったほうがいいんだけど、うち、機械ないんだよね、、この辺でやってくれる所ないかなぁ。」と言うので、首の牽引をやってくれる病院を探し始めたのですが、そんな時にたまたまヘルパーさんとその話をしたら「私が行ってる所で首の牽引やってるよ」と、あるクリニックを教えてくれました。

 そこは私が今、週1でリハビリに通っている所なのですが、最初、母親と一緒に電動車いすで行ったのですが中を覗いてみると、(その当時は)狭くてとても電動車いすでは入っていけませんでした。なので、その日はとりあえずパンフレットだけもらって帰ってきました。その後、主治医の先生にそのパンフレットを見せて相談したところ、先生曰く「ここ、(その当時)整形がないのが引っかかるなぁ。。」と初めはあまりいい顔をしてもらえませんでした。私としては、その時はもう何とか今の状況を打開したかったので必死でね。。(笑)「何とか紹介状を書いていただけませんか」と(かなり!)無理を言ったのでした。先生も最後は折れていただいて、紹介状とレントゲンの写真をいただきました。
 そして後日、その紹介状とレントゲンを持ってクリニックに行きました。
 院長先生に診ていただいたところ、初めのうちは「え?なんでうちなの?」という顔をしていました。そりゃぁそうですよね!(笑)突然、脳性マヒのおっさんがやって来て、リハビリやらせてくれなんてね。。「はぁ?」って感じですよね。(笑)
 ところが、私の話もよく聞いてくれて、状況も理解していただいて、あっさりと「じゃぁ、来れるときにリハビリ来てください。巡回車もあるんでね。」と言っていただいたので、逆にこっちが「えっ?良いの?」って感じでした。(笑)
 とは言うものの、実際に通い始めるとやっぱり車いすは私だけ(もう一人ぐらいいたかな?)だし、ましてや脳性マヒなんておそらく見たこともないでしょうから、リハビリチームの人たちも明らかに戸惑っていましたね。(笑)「こいつ、何なん?」みたいな・・・。(と勝手に感じただけですよ。笑)もちろん私自身も「あれ?俺、、場違い?」と思うこともありました。ただ、目的はあくまでリハビリですからね。「まっ、多少浮いててもいいからしばらく通ってみっか。そのうち、ちょっとは理解してもらえるだろう。」と思うようにして。通っていました。
 それが2、3ヶ月もするともう普通にしゃべってくれるようになって、だんだんと私の話も聞いてもらえるようになり、数か月後には文字盤で軽口を叩けるようになっていました。(笑)今では、クリニックの人たちと喋ることが楽しみのひとつになっています。

 それから1年半ぐらい経った47の時ですかね。。今度は左のヒザが痛くなりました。初めは朝起きるとなんとなくヒザがこわばるような感じがして、「あれ?何だ」と思いつつも特に気にしてはいなかったのですが、3、4か月経ってからかな。。だんだん痛みが強くなってきて、四つ這いもツラいほどになってしまったのです。この時はさすがに焦りましたよね。(笑)よりによってヒザって・・・。(笑)四つ這いするのに一番使う所でしょ!もし、このまま痛みが取れなくて四つ這いができなくなったらどうしようって思いますよね!整形でレントゲンを撮ってもらったところ、ヒザのお皿がズレているのと軟骨が少し擦り減っているのが原因じゃないかとのことでした。
 湿布をもらって貼ってみたところ、驚くほど痛みが取れていきました。それからはリハビリのほうでもヒザのケアをしてもらっています。

 現在は薬とリハビリの二本立てですね。3か月に一度、整形の先生に診てもらって飲み薬と塗り薬を出してもらい、週に一度、近くのクリニックでリハビリを受けて体の痛みやしびれをコントロールしています。
 初めは「週1でリハビリ?面倒くせぇなぁ。」と思ったんですけどね。上述のように今では楽しみの一つになっています。薬についても、もうやめることは諦めました。(笑)というより、薬を飲んで体が楽になって、それで自由に体が動かせるようになるのなら、その方がいいのかなと思うようになりましたね。
 これは私の意見ですが、二次障害って、極端に言うと[老化の一種]だと考えると少しは気が楽になるのではないかと思うのです。障害者に限らず、誰でも歳を重ねれば痛い所も出てくるし、体も動ぎづらくなってきます。ただ、障害者はそれが顕著に出てしまうんでしょうね。[二次障害]なんて言うと何となく大げさに捉えられてしまうかもしれませんが、誰にでも起こること、それが我々障害者は少し早かったり程度が大きいだけと思えば、そんなに身構える必要もないと思います。
 なるだけ出来ることを減らさないようにしたり、体力や能力を維持しようとすることは障害者であろうが健常者であろうが通る道は同じだと思うのです。

 もちろん、どうしたって体力や能力は落ちていきます。ですが、そのことに対していちいち落胆していたってしょうがないと思うのです。その分、できるようになることだって必ずありますしね。その辺の“受け入れと抵抗のバランス”とでも言うんでしょうか。。あまり受け入れすぎても、どんどん能力は落ちますし、あまり抵抗しても今度は疲れますしね。。徐々に徐々に[衰えて]いけるのが理想的なんだと思います。(私はまだ往生際が悪いですが。。笑)だからね、、『二次障害』などとあまり難しく考えずに「やっべ、首痛てぇなぁ、歳かなぁ。。」ぐらいに思ったほうが気が楽だし、長く付き合えるかもしれませんね。(もちろん、自分だけで判断せず、医師や専門的な知識ある人に相談してくださいね。)
このエントリーをはてなブックマークに追加


上へ   前へ(P)   次へ(N)   一覧へ戻る(B)

Counter