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イントロ

 最近、発売される歌はイントロがまったく無いものが増えているそうです。
 それはなぜか、、私にはちょっと思いもしない理由でした・・・。

 私たちの若いころの歌の聴き方というのは、カセットテープかCDを買うか(さすがにレコードは我々のひと世代上ですね。笑)ラジオから録音するか、テレビの歌番組をカセットデッキで録音して聴くぐらいでした。(母親の「早くご飯食べちゃいなさい」は定番ですね。笑)
 対して、今の人はスマホで、それもダウンロードじゃなしにオンラインのサブスクで聴いているそうです。これがイントロが無くなりつつある理由だそうで、要はイントロなんて聴いている時間がかったるい(今ふうに言えばダルい)から、そこの部分を飛ばしたり,最悪の場合、曲自体を聴いてもらえないそうで、だったら最初からイントロを無くそうということだそうです。
 いやぁ、、オッサンの個人的な意見としては非常に淋しいですね。というか、もったいない!(笑)

 確かに我々の頃にも最初からサビで始まる歌はありました。ただ、割合で言えば圧倒的に少なくて、言ってみればちょっとした変化球的なものでした。多くはイントロから始まって、Aメロ~Bメロ~サビ前~サビ、そしてアウトロといった流れで、普通にそのまま最初から最後まで聴いていましたね。
 もちろん、カセットテープデッキでも早送りはできるのですが、タイム表示も無いしキュルキュルキュルっていう音だけでピッタリと位置を合わせるのは、なかなかの至難の業でした。(慣れればかなり近い位置で止められるようになるんですけどね。笑)それに、これをやり過ぎるとテープを傷めるので、あまりやる人はいなかったですね。

 今の人はコスパならぬタイパ(※1)というものを気にしているそうです。録画したテレビもYouTubeの動画も1.5倍速で見ているそうで、ちょっと驚きましたね。(笑)だから音楽も、イントロや間奏なんて聴いていられないということなんだ思います。でもさぁ、、歌って歌詞も曲も全部ひっくるめて初めてその世界観が生まれるんじゃないの?って思うんてすよね。歌詞の部分だけを聴いて良い悪いを言っているようじゃ、「あんた、薄っぺらいなぁ」と思ってしまいます。(笑)
 イントロって、その歌に入り込んで行く助走のようなものだと思います。そこからどんどん気持ちを作っていってサビでドーンみたいな。。(笑)逆に言えば、飛び飛びで聴いてよく入り込めるなぁと思ってしまいます。歌詞だけでなく曲全体を聴いてみると、また感じ方が違ってくるかもしれませんし、それを味わえないなんてもったいないなぁと思ってしまいます。まぁねぇ、、「歌なんて暇つぶしで聴いてるから、そこまで重要に思ってない」という人からすると「はぁ?」って感じでしょうけどね。(笑)
 確かに今は、生活の中で接する情報の量も、受け取る媒体の種類の多さも昔と比べものになりません。少しでも多くの情報を取り入れたいという気持ちもわかります。私も録画したテレビ番組はCMを飛ばすことが多いです。(笑)より効果的に情報を取り入れていかないとやっていけないのかもしれません。学習塾などの講義ビデオは1.5倍速で見たほうが集中して見るので覚えがいいという説もあるようです。ただ、私の感覚では音楽は別ものだと思うんですよねぇ。。“聴きたいから聴く”のであって、その場合には効率なんて考えないはずです。私の感覚では、音楽を聴くときは癒しや安らぎの時間だと思うのですが、そんな時まで効率を求めるものなんでしょうかね。。っていうか、その感覚がもう違うのかな?(笑)音楽に癒しや安らぎを求めないのかなぁ??もしそうであれば、じゃぁなんで音楽聴くんだ?って思っちゃいますよね。(笑)え?まさか周りに合わせるために流行りの曲を聴いているの?だとしたら、曲の雰囲気だけわかればいいから飛び飛びで聴いても(その人にとっては)問題ないってこと?いやぁ、、それってどうなの?(笑)

 これって、おそらくは音楽を聴く環境の話だと思います。最初に書いたように、我々の頃は「その曲が聴きたい」と思って手に入れていましたよね。自分が好きな曲にしろ、流行りの曲にしろ、手に入れるにはそれなりの対価や労力が必要でした。ラジオやテレビから録音するときだって、いちいちタイミングを計らないといけないし、家族にも「頼むから静かにして!」とお願いしないといけません。そうやって苦労して録音したものでも、うっかり上書きしちゃったり、いざ聴こうと思ったら知らない演歌が入っていて、親に聞いたら「あれ?あんたのテープだった?ごめんね!」なんていう悲劇もありました。(笑)なので、どうしてもきれいな音で聴きたい場合は小遣いを貯めてシングルやアルバムを買っていました。だから、それぞれの曲に対する思い入れがあったように思います。
 対して今は、サブスクで聴き放題です。何曲聴こうが定額なので、目に留まったものを片っ端からいくらでも聴くことができます。出だしをちょっと聴いて「あ、違うな」と思ったら次に行くことができます。もうね、、「その曲が聴きたいから聴く」というより「たまたま出てきたから、とりあえず聴いてみる」っていう感じなんでしょうね。。もちろん、それで新たなお気に入りが見つかったり、知らない曲を試してみたりと利点もあります。ただ、裏を返せば一曲に対する価値(思い入れ)が薄くなってしまうというのも何となくわかります。

 もちろん、音楽なんてその人の聴き方で楽しめばいいし、『作った人の気持ちを考えろ!!』なんて言うつもりもありませんが、「せめて音楽ぐらいはタイパなんて気にせずに聴いたらいいのにな」とは思います。イントロや間奏がムダというのは、あまりにも短絡的すぎると思います。曲と歌詞が合わさって『歌』になっているわけで、曲で歌詞の印象も違ってくると思います。だったらその世界観全体を楽しめばいいと思うんですけどね。。
 私が聴いている曲の中には、イントロを聴いただけでジワーっと泣けてくるものもありますし、7分近くの曲でそのうち3分近くがイントロという曲もあります。「間奏のギターソロが泣けるんだよ」っていう曲もあります。イントロや間奏を飛ばすことは、それに出会えないということになります。本当にもったいない!!(笑)

 日々の生活で、効率というのは非常に大事です。効率を求めることで、より多くの経験もできます。社会自体も効率化が進む中で、何かこう、、“ムダ”という言葉が悪のようになってしまっているように思えます。そりゃぁ、限られた時間と人とお金の中で少しでもムダを無くそうというのは至極真っ当な意見でしょう。ただ、省けるムダと省いたらもったいないムダがあると思うのです。(ん?省いたらもったいないっていう時点で、もうムダじゃないのか?笑)
 例えば病院や銀行の待ち時間に、スマホで何か用事を済ませるというのはまぁ、わかります。(私はボーっと待ってるんですけどね。笑)でも、歌のイントロや間奏は“待ち時間”ではなく、一種の“間(ま)”のようなものだと思うのです。その間をいかに楽しめるか、ですよね。間を詰めることばかりを考えていると、余白の無いギスギスとした、スキが無いけど融通の利かない人や社会になりそうで怖いです。(私はスキだらけです。笑)そう考えると、間っていうのはひょっとしたら相手を思いやる気持ちだったり、自身の度量の大きさ(余裕?)を計るものなのかもしれませんね。

 音楽も人生も“間”が大事ってことですよ!(急に何だ!?笑)


※1 タイパ ・・・タイムパフォーマンスのこと。コストパフォーマンス(費用対効果)に対して、時間をどれだけ有効に使うかということ。

関連項目
80年代
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