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ああ、ショウガイシャ

 最近のメディア等の言葉に対する気の遣いようといったら、ちょっとやりすぎなんじゃないの?と言いたくなってしまうのですが、先日もネットでテレビでの不適当発言についての記事が書かれていました。なんなんだろう、、どうも私には気を遣っているというより、単にクレームつけられるのがうっとうしいだけのような気がしてなりません。私が小さい頃のテレビなんて、言いたい放題・やりたい放題だったんですけどね。

 考えてみれば我々の間にもデリケートな言葉遣いや表現というのは多々あって、有名なのが[障がい者]や[障碍者]という表記です。私はこれが大嫌いでねぇ、、何というのか潔くないですよね。別に”害”だっていいじゃん。確かに”害”という字はあまり良い言葉ではありません。障害者(=さし障って害のある者)と解釈するとちょっとイヤな気にもなってきます。ただ、それはもう決まった言葉として捉えればいいと私は思うのです。現に昔から使われている言葉ですし、[障害]を辞書で調べても[物事の成立や進行の邪魔をするもの。また、妨げること。しょうげ。]とあり、特に問題がある言葉のようにも思えません。(私が鈍いのかなぁ。)
 言葉の受け取り方というのは、それぞれ人によって違いますし話の流れによっても違ってきます。ただ、最近は社会全体で以前と比べて言葉に限らず物事の“ルール”が厳しくなっているように思うのです。ルールを細かく決めてしまった方がスムーズに事が進みますし、それにのっとってさえいれば何の問題も起きません。しかしそれは反面、柔軟性や多様性を失いかねません。決まった動作を決まった手順で、あるいは当たり障りのない言葉で万人受けする喋り方をしていれば誰の反感も受けることはないのですが、そうやってどんどんどんどん面倒臭いことを省いていくと個人も社会もちぢこまっていって、面白味のないしょぼくれたものになってしまいます。それって結局、人のことを気遣っているように見えて実は自分が傷付きたくないだけなんですよね。その人のとった言動がちょっと乱暴だからといって、その真意や意図を考えずにあれこれ批判するのはあまりにも短絡的で安易です。どこかの大臣がポロッと失言してしまったときなど一斉にニュースで取り立てることがあるのですが、あれってそれまでの仕事ぶりや功績なんて一切無視ですもんね!それってどうなん?といつも思ってしまいます。 あれ?また話がずれてる…?
 要は、受け取る側ももっとある意味大らかになった方がいいということだろうと思うのです。別に障害者だろうが障碍者であろうがどっちだっていいじゃん!相手は悪意なんてさらさら無いはずです。それをわざわざ言葉の上っ面をこねくり回して、上げ足取って能書き言ってみたってしょうがないと思うんですけどね。権利だ主義主張だというのは我々はつい言いたくなってしまうのですが、そればかりでは煙たがられてしまいますし、“壁をなくそう!”なんて言っている当事者がたかだか言葉遣いぐらいで壁を作っていてはそれこそ本末転倒です。
 障害者(=さし障って害のある者)ではなく、単純に障害者(=障害を持った者)と捉えた方がお互い、楽なんじゃないでしょうかねぇ…。
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