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統一化と多様化
UDというのは面白いもので、”統一化”と”多様化”という相反する言葉が常に同居しています。しかも両者ともにとても重要な位置を占めているのです。一見矛盾を感じてしまうところですが、不思議なことにUDの世界では両方の要素が欠かすことができません。これはどういうことでしょうか。
まず、”統一化”という点で考えてみたいと思います。モノを使いやすくするためには、大きさ・形状・材質・操作法など同じ機能を持つものであれば、ある程度の統一性をもたせたほうが利便性が上がります。たとえば、缶飲料の缶などは材質や形状やプルタブを引いて開けるという方法はどれも一定に統一されています。そのためノドが渇いて自販機でジュースを買って飲むときでも当たり前のようにスッと開けて飲むことができます。また、アルコール類の点字表示も同じ位置にあるからわかりやすいのです。これがもしメーカーごとに開け方や点字の位置が違っていたら、いちいち開け方を確認してそれが初めてのときは缶に表示してあるであろう説明を読まなければなりません。また、市販されているプルタブオープナーなどもその種類ごとにそれぞれ用意しなければなりません。そうなると使う側も必要な種類分揃えなければならなくなり、経済性も利便性もあまり良くありません。そして、提供するほうも逆に規格が決まっていたほうが新しい製品の開発もしやすくなりますし、それを世に出しても余計な説明が要らない分、受け入れられやすくなります。
一方、”多様化”という面で考えたときに真っ先に上がる利点というのは、[使用(利用)可能な人が増える]という点ではないでしょうか。同じモノでも、操作の方法や形状・そして結果を伝える方法などのパターンを数種類用意することで使用者が自ら使いやすい(もしくは使える)ものを選ぶことができます。先ほどの缶の話で言えば、缶単体では開けることのできない人でもプルタブオープナーを使うことで可能になります。しかも現在は様ざまな形のものが市販されていますので、自分が一番気に入ったものを選べばいいわけです。モノ以外でも、たとえば大きな交差点の歩行者用信号は視覚と聴覚で知らせてくれます。音というのは何も目の見えない人のためだけではなく、スポーツ新聞に夢中になっているおじさんだとか、でっかいビルに圧倒されてポケーっと上ばっかり見てる田舎もん(それ、俺じゃん)だとかでも音が鳴ればハッと気付くことでしょう。そういった意味ではユニバーサルです。ただ、それは[一人ひとりに合わせる]というのではなく、あくまでUDは[多様性を持たせる]という点が大事だと私は思います。なぜなら、そもそものUDの理念が[誰でもが使えること]であり、特定の一人が使えればいいというものではないからです。その人が使いづらいものであるならば、その人に合わせるのではなくその人も使えるようにするのが”多様化”だと思います。
このように、UDというのは様ざまな事象や物の見方を包含しています。そしてそれらをどの側面から、どんな切り口で見ていくかがモノの良し悪しを決めるポイントになってくると思うのです。逆に言えば、見方を一歩間違えてしまえばまるで使い物にならない、とんでもないシロモノができてしまう危険性もあるのです。
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