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電動車いす (トライ編)
私は外出する時にはたいてい電動車いす(以下、電動)を使うのですが、そもそもなぜ電動を欲しいと思ったか・・・。[自立する]だの、[自分の世界を広げる]だの[誰かに頼らない]だのといった、よくある優等生的な理由ではなく、その動機は極めて不純なものでした。(笑)
子どもの頃は親に手動の車いすを押されてどこにでも行っていました。しかし、それが中学、高校ぐらいになってくると親と出かけるのが恥ずかしくなってきたり、うっとうしくなってきたりするんですよね。。当然、一緒に出かける機会も徐々に減っていきました。高校ぐらいになると、周りの友達も電動に乗り始めて一人で外に出たり、放課後に残って友達と遊んだりしてるんですよ。。それがすごく楽しそうでね!
私は養護学校(現・特別支援学校)を出ているのですが、そもそも、養護学校ではほとんどの生徒がスクールバスで通学しています。そのなかで、障害が軽い人や、家が近くて自分で通える人は[自主通学]をしていました。私も電動に乗るまではスクールバスで通っていました。なので放課後に残るなんてことも、めったにありませんし、例えば文化祭の準備などで残った場合にはたいてい親に迎えに来てもらっていました。当然、友達同士で「お疲れー、コンビニでも寄ってくか!」なんてこともないですし、なんならちょっと親にも「めんどくさいなぁ」みたいな顔されちゃってね。。(笑)だから、その「お疲れー、コンビニでも寄ってくか!」っていうのをやってみたかったんです。
養護学校って、いくつか市をまたぐほどめちゃくちゃ学区が広いのですが、たまたま私の家が歩いて15分程度と学校の近くでした。これはもう、自主通するチャンスでしょ!(笑)こうして私の電動車いす熱は高まっていったのでした。逆に今思うと家が近くなければ、もしかしたら電動にも乗ろうと思わなかったかもしれませんね。ところが、、あんな苦労が待っていようとは・・・。
電動に乗ろうと決心したのは、高1の時でした。確か、最初に担任の先生に言ったんだっけな。。そのときは、もうすぐに乗れると思っていて結構軽い気持ちで言ったと思います。ところが、初めのうちは相手にしてもらえず、「お前、本当に乗れるのか?」とか「ほかの人が乗ってるから、うらやましいだけなんじゃないのか?」とかって痛い所も突かれました。まぁ、確かにうらやましかったんですけどね。(笑)で、こっちも、“これはやばいぞ、本気でやらないと・・・”と思い始めて、必死で「先生、違うんだよ!俺は自主通したいんだよ!」と説得した覚えがあります。(そこは、あくまで自主通学が目的だったんですね。笑)そして、次は親の説得です。
もちろん親も、普段、口では「めんどくさいなぁ」なんて言っていても、いざ電動に乗るとなると話は違って、やはり心配だったと思います。同じように「運転できるのか?」とか「人に当たったらどうするんだ?」と言われた覚えがあります。ただ、あまり反対された記憶がないんですよね。。もう36年以上前なので、あまりはっきりと覚えていないのですが、割とスムーズに話が進んだ印象があります。あ、でも父親は割と最後まで反対してたかな?うちは、ちょっと面白いんですよ。一般的には母親の方が反対して、父親が「まぁまぁ、いいじゃないか」って言うイメージが強いと思いますが、うちは逆なんですよね。。このときも母親が「まぁ、いいんじゃない」って感じでした。おそらく、室内でちょこちょこっと乗るぐらいだと思っていたか、「先生もOKしたことだし・・・」みたいな感じで考えていたんでしょうかね。(笑)
先生にも親にも了解してもらえて、これでやっと電動に乗れるだろうと思いました。・・・だけど、、甘かったなぁ。。
電動に乗るにあたって、いくつかの条件が出されました。[(訓練をして)体力をつける]だったり、[姿勢をちゃんと正しくする]だったりとある中に、[自分で自分の体を制御する]というのがありました。「自分で自分の体を制御する・・・?? はぁ?」って感じですよね!(笑)私は初め、その意味がわかりませんでした。っていうか、「めんどくせぇなぁ。早く乗せてくれよ」って思ってました。まぁでも、これをやらないと乗れませんからね。。渋々訓練を受けました。それが3ヶ月ぐらい続いたのかな、、その間、何度挫折しかけたことか・・・。(笑)
こうして無事、出された条件も何とかクリアして、申請、発注! そしてやっと電動車いすに乗ることができました。
・・・[エンジョイ編]へつづく
関連項目
電動車いす (エンジョイ編)
地域で暮らす