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飲みたいものは飲みたい。
私はコーヒーが大好きなのですが、時どき(しょっちゅうかな?)夜中に突然飲みたくなるんですよ!そういう時はどうするか。。幸い私は缶コーヒーが開けられる(ようになった)ので缶コーヒーがあれば飲むことができるのですが、以前の私も含めてそれができないとなると誰かに頼むようになってしまいます。通常では親や兄弟に頼むことになるでしょう。そこで必ず言われるのが”夜なんだからやめなさい”。
もちろん、心配して言ってくれているのは良くわかるのですが、そんなこと言われたってねぇ。。やっぱり飲みたいものは飲みたいですよね! しかし結局は飲ませてもらえずにあきらめてしまうのです。そこまではまぁ、こっちも折れましょうよ。ところが、イライラしているその横で平気で弟が缶コーヒーを飲んでるわけですよ!もちろん、親も注意はします。けれども、注意までで終っちゃうんですよね。私はそれがどうも納得できなくてねぇ! ”あぁ、世の中やったもん(できるもん)勝ちなんだなぁ”とつくづく思ったのを覚えています。やはり、介助をしてもらうということは大なり小なり、また良かれ悪かれ介助者の思いというフィルターが入ってきてしまいます。そうなると極端な話、介護者のフィルターを通ったものしかできなくなってしまいます。それではやはり面白くはないです。常識的で正しい事ばかりしていればそれで楽しいかというと、そうではないはずです。逆に、ちょっと非常識で決して胸をはって言えるようなものではない事のほうが実は楽しいし、そこから初めて”自分”という意識が生まれてくるのではないでしょうか。私も今ではもういいオッサンですが、中学まではエラくまともでね。通り一遍のことしか言わなかったのですが、高校に入って自分で外に出られるようになったせいもあるのですが、コンビニの前で友達とたむろしてるところを先生に見つかったり、”後輩”のタバコを一本もらって吸ってみたら思いっきりむせて大泣きしたり・・・。けっこうおイタしたものでした。当然、中学時代より高校時代のほうが印象が深いですし、大きく変わった時期でもありました。もし、中学のころのままの生活だったら恐らく今でも、通り一遍のことしか言わないさぞかし”立派な大人”になっていたことでしょう。(今はひねくれ過ぎという噂もありますが!)
だいぶ話が脱線しましたが、要はいくら良くない事でもそれをするかどうかの判断は本人に任せてほしいということです。小さい子供ならともかく18以上の人に”おあずけ”ってのはちょっとキツイですね。(ちょうど「18禁」なんて言葉もあることだし。)もちろん、注意はありがたいですよ、ただこっちはそれがわかった上で言っているんです。また、もしわかっていなくても一度経験すれば”夜にコーヒー飲むと眠れなくて次の日辛くなるんだな”ということがわかるでしょう。その先の自由は誰にも否定はできないはずです。しかしそれと同時に自由であるがゆえのリスクも知らせなければなりません。”自由”の裏には必ず”責任”という言葉がついて回ること、これもやはり経験がないとわからないことです。
介助というものはそれをする方もされる方も気を遣うものです。ですが[モノのUD化]・[こころのUD化]が進めばそれも少しは解消されるのではないでしょうか。