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車いすは便利か。

 まったく関係ない所から入りますが、私はテレビの旅番組が好きなんですよ。それも、いわゆる秘境・へき地モノが好きなんです。そしてそれらを見ているときに必ず思うのが、”この場所に車いすで立つことってあるのかな”ということなんです。覚えているのを挙げてみると、たとえばアマゾンのジャングルの奥にある何たら族の村だとかチベットの山奥にある有名な寺だとか、一番思ったのはエジプトのビラミットの中ですね!確か一般客でも大回廊や王の間は入れたはずです。しかしそれが急な階段で幅も狭いとなりゃぁ、正直連れて行くほうも思わず言葉を選んでしまうでしょう。お願いするほうだってちょっとね・・・。 それは日本でも同じで、この間も尾瀬の木道をみんなで歩くという番組をやっていたのですが、”あの幅じゃ車いす無理じゃん!”と思ってしまいました。そう、それと山の奥のほうにある”秘湯”とかね。
 車椅子というのは、歩くことの困難な人にとってはこれに乗ることによって移動ができる非常にありがたい道具です、実際、私も車いすがあるからこそ外に出られるわけで、活動範囲を広げてくれる大事なものです。だからこそ、今回ここで敢えて車いすが本当に便利な道具なのかを考えてみたいと思いました。

 構造的に言えば、車いすというのは車輪が回転することで移動するものです。基本的に車輪は坂道を含む平らな場所でしか回転できません。整備の進む街の中では大きな問題は無いように思えます。ところが先に言ったような場所はいずれも平らな場所ではありません。足場だってかなり悪いです。仮に、車いす無しで誰かにかついで行ってもらったとしても、その様子を想像するだけでかなり危険のような気がします。石場で足を踏み外せば双方に危害が及んでしまいます。うーん、、そうなると私は一生”山奥の秘湯”には入れないのかなぁ。ヘリコプターで行くっていう手もあるけど、それじゃ”苦労して山道を行く”という過程が無くて意味がないし・・・第一、そんなアホ道楽に費やす金も無いですもんね。
 では街なかに限って考えると、実際のところ本当に問題は無いのでしょうか。最近では、交通バリアフリー法・ハートビル法などの法律面でのサポートもあり本当に車いすでも外に出やすくなりました。ただ、これはあくまで公共の施設の、なおかつ予想される移動経路の話で、そうでないところはこの範ちゅうに入らないことが多々あります。たとえば、しばしば出会ってしまうのは途中で切れている歩道ですね。まぁ、これは賛否両論ありますが、私はどちらかというと歩道がある道は歩道を通るようにしているんですね。ところが、あ、歩道があるやと思って車道から一段上がった歩道を走っていると途中でバッタリ切れていたりするんです!そこでまだUターンできるくらいの幅があれば、クッソーとは思いますけど引き返しますわね。ところがそれができない場合は最悪です!それでも、まぁ段差が10cm程度であれば”エイやぁ”って降りちゃいましょうよ。でも、それ以上になるとさすがに怖いです。仕方なくバックで戻っていったこともありました。これだって、もし[車輪]じゃなかったらそのまま降りられたかもしれません。少なくても[足で歩く]という移動方法では何の問題もありません。
 また、よくテレビで民家を改造したおしゃれなレストランなんていうのを紹介していますが、決まって入り口に4・5段の階段があるんですよね。それは建物の構造や地形や店の雰囲気作りなど、さまざまな要因があってそうなっているのだと思いますが、たかが4・5段の階段でもう車いすはお手上げです。また店の中までは入れても、そこから奥には行けないということもよくあります。店の外観をよくしたり、限られたスペースで少しでも多く商品を置こうというのは、商売として当然のことですし悪気は無く車いすなんていう意識も無いのかもしれません。これらの点は決して責めるべきものではありません。

 要は[歩く]という”点”での移動方法と[車輪]という”線”での移動方法の性格の違いによる摩擦だと思うのです。点での移動法ではその着地点毎が安定していれば良いのに対し、線での移動法はそれが連続していなければなりません。極端に言えば、家から出かけてまた家に帰るまでずっと連続した(理屈の上での)平面でなければならないということになります。そうなると、おのずと行動範囲も制約されてしまいます。上下の移動も、スロープやエレベータがあれば平面ですが階段では平面でなくなります。歩行での移動の場合はそのようなことを考える必要すらないので、”平面”に対する認識に温度差や摩擦があるのは当然といえば当然です。この摩擦をどこまで解消できるか、これまでの[車輪]ばかりに目を向けた解決法ではなく、双方が歩み寄れるような新たな発想が必要になってくるのではないでしょうか。ちょっと大胆な事を言わせてもらえば、[歩行型]の車いすがあれば話が早いと思いませんか。これなら今ある環境でも対応できると思うのですが・・・。
 このように、街なかの場合で考えると、タイトルの[車いすは便利か。]というのは”移動”という点よりは”行動”のほうでの話のように思います。街に遊びに行くこと自体は電車やバスを使うことで楽でも、行った先での行動が不便であればやはりそれは[便利]とはいえません。

 最後に、車いすに乗っている人の多くが”車いすは自分の足だ”と言っています。私はねぇ、この感覚ってわからないんですよね。だって、実際”足”ではないでしょ。移動手段として”足”と言っているのかもしれませんが、それにしたって決して便利な足ではありません。ただ、私はどんな形にせよいずれ本当に我々の[足]となってくれるもの(車椅子ということにこだわらず)が出てくると思っています。ま、それまで愛車の電動で街をかっ飛ばすってのも悪くないな!(かっ飛ばすって言うほどスピードは出ないんだけど・・・)
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