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AIとVR

 先日、[AIスピーカ]なるものが発売されました。
 ここ数年で本格的に実用が始まったAI(Artificial Intelligence:人工知能)とVR(Virtual Reality:仮想現実)ですが、両者とも我々障害者と大きく関わってきそうです。

 私は、AIはどちらかというと実際の生活面、VRはどちらかというと夢や希望といった面で関わってくると思います。私も詳しくはないのですが、AIって、ザックリ言えば状況判断と行動予測ですよね。例えば、家電メーカーのショールームで近未来の家って言って、音声や端末装置を使って家の中の物を制御するというものがありますが、そこにAIが入るとその人の生活パターンや行動を予測して制御できるようになります。面倒くさがり屋の私には、これはありがたいですね。。(笑)例えば、夕方になれば電気をつけてカーテンを閉めます。これまでであれば一つ一つ動作させていましたが、それをAIは、生活上のパターンとして学習して、セットで動作させることができます。さらに学習が進めば、こちらでアクションしなくても、時間で判断したり、部屋の暗さを感知して自動的に制御できるかもしれません。(これくらいはもう、とっくにできているでしょうね。)このように、AIを取り入れることで単に便利なシステムから、より実用的で生活感のあるシステムになるかもしれません。
 もちろん、それが行き過ぎれば「余計なお節介」になってしまいます。ただ、そこは[AI]ですからね。。その辺も自分で学習してもらって。。(笑)
 また、もし介護ロボットが実用化されれば当然、AIも組み込まれるはずです。介護なんて、一番状況判断が必要ですよね。あらかじめ決められた動作を繰り返すより、その時の状況を汲み取って動作したほうが介護される側も安心です。さらに、[その人専用]にすればその人のやり方を学習するので、よりきめ細かな介護が可能になります。

 一方、VRは実際には体験するのが難しいことを疑似的に体験しようというものです。例えば、自身で行くのが難しい所に疑似的に行ったような体験をしたり、現実的にはあり得ない世界を体験しようというものです。これも我々障害者にとってはとても有用なものです。私はまだ未体験なのですが、車いすでなかなか行くのが難しい所の景色が見られるのであれば一度は経験してみたいものです。(ま、私の場合は“妄想”っていう最強のVRがあるんですけどね。笑)今はまだ視覚と聴覚が主ですが、いずれは嗅覚だったり触覚にも対応してくるはずです。装置も今はでっかいゴーグルとヘッドホンですが、そのうちメガネ型になったり、あるいは直接、脳に刺激を与える形になるかもしれません。(やべっ、アバターじゃん!)
 そうなると、外出が困難な人でも例えば富士山の頂上からの眺めを体験できたり、山登り自体を楽しめるかもしれません。車いすで富士山登頂なんて絶対無理でしょ!?(笑)あ、でも、まずやりたいことって言ったら、普通に街をプラプラ歩くことかもしれないですね。。普通に何の制限もなく歩くのが実は一番楽しいし、やりたいことかもしれません。

 これらは、どちらも障害者に限らず健常者にも便利なものです。さらに技術が進歩して、もっと広まれば生活も大きく変わるでしょう。そうなった時に、どうやって折り合いをつけていくかですよね。便利だと思っているうちはまだ良いのですが、それが手に負えないものになってしまうと、ちょっと厄介です。というか危険です。(笑)

 AIというのはコンピュータ上のでっかいプログラムの塊です。プログラムって合理性が一番大事なんですよね。(私もプログラマをしていた時に、上司に「お前が作ったプログラムは無駄が多い」ってよく怒られていました。笑)いかに合理的にプログラムを動かすか。それによって処理スピードも学習能力も大きく違ってきます。なので、おのずとできあがったAIの学習の仕方も合理性が優先されるかもしれません。これはねぇ、、ある意味コンピュータの性質上、仕方がないことなんですよね。。
 それがどんど学習していって万が一、暴走したらどうなるでしょう。合理性を重視するあまり、「障害者の世話?これ意味あるの?面倒くさいなぁ。」 「障害者!? そんなの居ても無駄だな。。要らないじゃん。」なんて考え始めたら最悪です。介護ロボットもへったくれもありません。果たして、AIに人間の道徳観や倫理観が理解できるようになるでしょうか。特に道徳観や倫理観といった部分は、人によってもかなり幅があります。その辺をどうやって制御するか、どうやって学習させるかでしょうね。

 VRについても、これはあくまでも仮想の世界ということをいつも考えておかないといけないでしょうね。技術が進むにつれ、どんどん現実感が増していくでしょう。そうすると仮想と現実の混同が起きてしまいかねません。それが自分でわかっていればいいのですが、“ハマって”しまうとちょっと厄介ですね。障害者にとっては絶対、VRの世界のほうが居心地の良いと思いますし、自由にならない現実の世界なんてアホらしくなるだろうなというのも十分想像できます。そうなるとVRの世界のみが自分の居場所だと思い込んで、これに依存してしまう可能性もあります。
 もっと怖いのは、周りの人がそれを“利用”してしまうことです。上述のように、これからVRはどんどん手軽に利用できるようになるでしょう。例えば障害を持った子どもがいたとします。親としてはいろんな所に連れていってあげたいけど、たいへんだし、もしかしたら周りの目も気になるかもしれません。そうしたときに、じゃぁせめてVRで体験させてあげよう。という流れになるのは当然あり得ます。また、特別支援学校などでは遠足や社会科見学がありますが、段取りするのもたいへんだし、人手の問題もあります。安全性の面でも「VRにしようか。。」という議論になってもおかしくありません。
 一度そうなってしまうと、もう歯止めは効かなくなってしまいますよね。。ちょっとゴーグルをかけて遠足に行けるんだったら、それでいいじゃん。ってなってしまいそうです。(笑)そして、いずれはそれが当たり前になってしまうかもしれません。技術というのは使う側の思いで良し悪しが左右されますし、一度、手に入れてしまった技術はそう簡単には手放せません。一番懸念されるのは、手軽いがゆえにそれ“のみ”になってしまうことです。
 技術的には確かにすごいVRですが、やっぱり所詮は“仮想”なんですよね。。実体験にはかなわないと思います。実際にその場所に行くことで、例えばその場のにおいだったり、雑音だったり、ひょっとしたら、ちょっとしたハプニングに出くわすかもしれません。それが良いんですよね!これらの要素を全部ひっくるめて初めて[経験]となり、思い出としてしっかり残るわけで、VRで同じような体験をしても、思い出にはならないような気がします。ましてや、学校なんていうのは集団生活を学ぶ所でもあります。VRでとてもその辺が学べるとは思えないんですよね。(笑) 何十年後、[遠足は教室で]なんてことにならないように祈るばかりです。

 いずれにしても、これからAI、そしてVRは否が応でも生活の中にどんどん入り込んでくるのは確かです。もちろん両者とも私たちの生活を快適にしてくれるに違いありません。上述のようなことはまだまだ先の話かもしれませんが、例えば医療の現場ではもう実際にVRが使われ始めています。
 便利な技術を便利に使うことが大事だと思います。「便利に使う」っていうのが難しいところでね。。(笑)最近よく言われている「便利すぎて不便」なんていうことにならないようにしないといけません。あまりそればかりにのめり込まずに、若干引いた目で見るくらいのほうがいいかもしれませんね。我々の生活に豊かさと多様性を持たせてくれる道具のひとつとしてAIとVRの発展に期待します。

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